私は最近、人間の忘れやすいという性質と忘れられることのありがたさというものを考えています。
世間では、記憶力がいいイコール頭がいい、記憶力が悪いイコール頭が悪いという価値観が一般的です。歳をとってきて、物忘れが激しくなってきたと自覚すると寂しい思いをする人も多いと思います。
実際、苦労なく色々なことがどんどん覚えられればどれだけ良いだろうと誰もが思うでしょう。そうなれば、勉強や仕事などが俄然、楽になります。(私も一時期、必要なことを沢山覚えたいために、DHAのサプリメントを飲んでいたことがありました)
記憶力が高すぎるのも考えもの?
しかし、記憶力が良すぎるのも問題のようです。
何でもかんでもすぐに覚えてしまう驚異の記憶力を持つロシアの新聞記者の話を読んだことがあります。その記憶力の高さ故、意味のないことまで記憶に残ってしまう。様々なことが頭を去来し、その雑念を払うのが大変だったという話しでした。
元来、人間の脳は何でも一度で覚える能力があるそうです。しかし、それでは先の新聞記者のように無意味なものまで膨大に記憶に残ってしまいます。そこで、短期記憶の中から感情を強く伴ったり、印象に残るようなインパクトのあったもの、そして繰り返し知覚されたものだけが長期記憶に移され、後は消えるようになっているのです。(消えたのではなく引き出せなくなるだけであり、実際は全てのことを記憶しているという説もあります)
つまり、無意味なものまで覚えすぎないようにあえて制御するように(要は忘れやすく)なっているのです。
嫌な記憶が残り続けるのは不幸になりやすくなる
記憶には 自分にとって必要なことや思い出すと楽しい感情を喚起させるポジティブな記憶と、無意味な記憶や思い出すと不幸な気持ちになるネガティブな記憶とがあります。
問題なのは、忘れてしまえば何でもないことが繰り返し思い出されることにより、ずっと嫌な思い出として残り続けるネガティブな記憶です。場合によってはそれに囚われ、ずっと苦しみ続けることもあります。(そういう経験がある人は多いでしょう。私も嫌な出来事に囚われ、しばらく辛い思いをしたことが少なからずあります)
記憶力が良すぎるばかりにネガティブな出来事も中々頭から離れず、それを忘れようとする努力は相当な苦しみだと思うのです。
心がけ次第で良い人生を生きる指針にもできる
「思い出す」という行為は、記憶を強化するための復習となります。良い記憶でも悪い記憶でも思い出さなければやがて忘れてしまいます。(もしくは、思い出しにくくなる)
ポジティブな記憶に関して、忘れないように繰り返し思い出すようにするのは心がけ次第でできます。そうすれば同時に、つい嫌な記憶を思い出してしまうことの抑止にもなります。
これは、記憶や思い出のみならず、物事の良い側面を見ようとする心がけにも通ずることであり、ついネガティブな側面を見がちな人にとっては、この心がけは良い生き方の一つの指針ともできるものです。
やはり、繰り返し思い出したもの(反復したもの)が記憶に残りやすく、それ以外は一定の時間で忘れるという脳の基本的なシステム。そして、何を思い出すか(反復するか)は、自分で選択できる自由があるというのは非常にありがたいことだとつくづく思うのです。
※しかし、強迫観念という厄介なものもあります。こちらが意図して思い出そうとしなくても勝手に嫌な記憶が繰り返し思い出されてしまいます。症状が重いものではPTSD(心的外傷後ストレス障害)やフラッシュバック現象などがあります。これは専門的な対処が必要です。
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