『自分にとって』を理解する

周囲から見れば、いたって普通の外見でも自分の容姿に自信たっぷりのナルシストという人がいます。逆に、本人さえ気に留めなければ(他人から見れば気にも留まらないような)何の問題もない外見の些細な点を気にして劣等感を抱えて生きている人もいます。

私も過去に、職場で特に能力が高いという印象もない人が「自分は仕事ができる」「頭がいい」と言わんばかりの態度を(実際に言ったことも何度もありますが)いくつも見てきました。また、大きなミスをしたり叱責を受けてもその後も何事も無かったような人もいました。「よくあんなことがあって気落ちしないな」と感じた記憶があります。

結局、人間は『自分にとって』が重要

これは、現実というものはそれ自体に意味があるわけではなく、それに対してどう意味を持たせるか、どう受け取るか、どう理解するかは自分次第であり、結局のところ人間は『自分にとって』が重要ということです。

たとえば、普通は金持ちであれば幸福であり、貧乏であれば不幸であると決めつけてしまいがちです。しかし、実際は金持ちでも不幸な人もいれば、金は無くとも気楽に楽しくやっている人もいます。「裕福だったらもっと幸せに生きるべきだ」とか「貧乏なのに楽しくやっているのはけしからん」など、誰も言う権利はないわけです。飽くまでその理由が『自分にとって』である以上、他人がとやかく言うことはできないのです。

この真実のすごいところは、たとえ現実が違っていても関係ないことです。「常識的にはそうかもしれない。だが、自分にとってはこうなんだ」と言われれば、もうそれ以上のものはありません。

ただ、『自分にとって』が悪く働く例というものがあります。その問題を以下に3点、挙げます。

問題となること①:『自分にとって』で慢心に陥り、人間性が失墜するケース

まず、『自分にとって』が常に自分の都合のいいことばかりに偏るケースです。それによる影響は、自己成長が停滞し、傲慢さや横柄さが増して謙虚さが無くなり、人として怠惰に陥ることです。

上記で挙げた「自分は頭がいい」だの「仕事ができる」だの言っていた人は、大抵はプライベートでは遊んでいるだけでした。教養に繋がる本一冊すら読まず、それでも自分をまるで人として完璧であると思い込んでいるかのようでした。『自分にとって』を都合よく利用するだけで何の努力もせずに完璧になれるのですから、こんな楽で快適なことはないわけです。(なお、本人は『自分にとって』ではなく、客観的事実だと疑いなく思い込んでいます)

『自分にとって』を全て自分の都合が良いものにすれば自省することがなくなり、常に自分が正しく、間違えているのは周囲の人間だと考えるようになります。都合のいい『自分にとって』ばかりをしていると、人としての器量が狭くなります。慢心に陥って、傲慢さが増幅されるのです。実際、過去に見てきたこのタイプは、自己称賛と他者誹謗の傾向が強く、常に周囲の人への不満や批判、陰口を言っていました。

しかし、本人がそう思っているだけに留まっていれば、誰も困りません。たとえ人間性が失墜して、それを周りが気づいていても、本人がそれで満足していればそれ以上のものはありません。そのような人と関わらないようにすれば良いことです。(但し、関わらざるを得ない状況になると、大抵は以下に書く問題③のケースになり、被害を受けることが多くなります)

問題となること②:『自分にとって』で自分を苦しめるケース

『自分にとって』が問題となりえる2番目に挙げることは、『自分にとって』で自分を困らせるケースです。冒頭に挙げた周囲の人が全く気がついていない外見上の些細なことを大きなコンプレックスとして、自分に自信を持てずに生きている人などがそうです。(概ね、コンプレックスを抱きやすい内向型の人に多いと思われます)

自分が気にさえしなければ何の問題にもならないことを『自分にとって』で自分自身を苦しめていること。それに気がつくことが大事です。よくよく考えれば、無意識に意外と多く抱えているかもしれません。わざわざ自分を苦しめるために『自分にとって』を利用していないか考えてみましょう。『自分にとって』は、上手に使えば薬になりますが、利用法を間違えると毒になってしまうことがあります。

しかし、『自分にとって』で自分を苦しめるケースは、まだ他人に迷惑をかけていない分、マシとも言えます。最も大きい問題と思えるのが最後の③です。

問題となること③:『自分にとって』で周囲が迷惑するケース

そして最後に挙げる問題は、『自分にとって』で他人が迷惑するケースです。(一人の場合もあれば、大勢の場合もあります)

本当は『自分にとって』であるのを客観的事実と決めつけ、それによって行う言動、態度、行動などで他人が迷惑することです。これが世間では非常に多いのです。(問題①の傾向がある人がこれを併せ持っていることが多いです)

「それは人それぞれの考え(受け止め方)だ」という事柄は、日常の中ではとても多いものです。人それぞれの『自分にとって』があるわけです。ですが、自分の『自分にとって』が正しいと主張し、他人の『自分にとって』を批判する。場合によっては攻撃したりする。そういう人が世の中に多いことは、SNSにおける中傷誹謗問題などでも分かります。(過去のコラムでも書きましたが、正しければ攻撃が正当化されるということはありません

我々は、自分が問題にさえしなければそれで済むことを『自分にとって』で、わざわざ自分を苦しめることはありません。一方で、自分の『自分にとって』が重要なように、他人の『自分にとって』を尊重する必要があることを忘れてはいけません。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする