正しい自己啓発は、自分をコントロールしようと努力すること

20代の頃、毎週日曜日の朝に喫茶店へ行き、モーニングセットを食べながら読書をする習慣がありました。朝の9時くらいに店へ行き、カウンター席に座って、決まってスクランブルエッグ&トーストとコーヒーを注文しました。滞在時間は1時間程度でしたが、1週間の中でも特別な時間だった記憶があります。

そのときに主に読んでいたのは、ジョン・トッド、ウエイン・ダイアー、サミュエル・スマイルズなどが書いた自己啓発書でした。(特に文庫本で携帯しやすいという理由で、三笠書房の「知的生きかた文庫」というシリーズの本をよく持って行きました)

そこに書いてあるのは、「人生に目標を持て」「忍耐力をつけよ」「他人に慈悲深くなれ」「勉学に励め」「時間を無駄にするな」「体を鍛えよ」「よい友人を作れ」など、人として正しい行いを説いた「清く正しく美しい生き方のガイド本」のような内容です。

自分の中にも他人を羨んだり、不満や文句を言いたくなったり、何かに苛立ったり、自慢などをしたくなるといったことが日常的にあり、まだまだ人として未熟な部分が多くあることを自覚しました。こういった本を読んでから少しずつではありますが、それを感じ取り、コントロールしようとすることが増えていったように思います。

人として正しい行いを説いた自己啓発というものを学べば学ぶほど、ネガティブな感情・欲望・言動・態度など、自分をコントロールしようとすることばかりであると気づきました。

そうは言っても「言うは易し、行うは難し」であり、一進一退といった感じで、本に書いてあるような立派な人間になるのは自分には到底、無理だと思っていましたが、それでもそのような心得を持たずに生きてきたときと比較すれば、かなりマシになっているのではないかと思います。

自己啓発は、自惚れるためのものではない

ところが、自分の感情・言動・態度などをコントロールしようともせず、そういった本に書かれている「立派なこと」に共感・同意することで独善的な自信を強化するだけの人も世の中にはいます。(本で得た知識や立派なことを他人に雄弁に語る、強い調子で自分の正義を主張するといった形で表出するケースが多いように感じます)

以前、YouTubeで非常に博学の人(と、一応は見える)が様々なテーマを語ったり、視聴者からの質問や悩みに回答するという動画を観ました。その人は、事ある毎に「自己成長が大事だ」と語り、普段から大量の読書をし、筋トレやジョギングなどもしているらしく、一般に啓発事といえる類の行動をしているようでした。

その積極的な取り組みについては、素晴らしいと思います。しかし、その人に謙虚さが無く、横柄とも思える態度や発言を幾度も見ました。(「自己成長が大事」と説いている姿が横柄だというのは笑えないジョークにしか見えません)

大量の読書をして知識が増えていき、筋トレなどもして体が鍛えられてくると相当に自分に自信が付いていくことは容易に想像できます。ですが、それで横柄になって謙虚さを失ったら自己啓発としては元も子もありません。啓発行動を積極的に進めていくなら、同時に自信過剰になる自分をコントロールする内面も育まなければ、自信はいつしか過信になり、独善的で横柄な人間になっていってしまう危険性があります。ヘタをすると、平気でモラハラ(モラル・ハラスメント)をする人間になるかもしれません。

そうなったら、どれだけ立派なことを説いた自己啓発書でもその人にとっては「自分が立派な人間だという良い気分にさせてくれる本」「立派な自分というセルフイメージに酔わせてくれる本」という程度のものにしかなりません。そういった人にとっては、自己啓発は自惚れを強化させるだけのものです。

確かに自己啓発というのは、目標を立て、学習に励み、運動をし、時間厳守の習慣をつけるなど、行動面を改善することは外せません。しかし、前述したように、自分の中の未熟な部分を自覚して抑え、感情・言動・態度などをコントロールしていくことが真の自己啓発であると思うのです。

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