私が過去に職場で知り合った人の中に、自分に対して誤解や何か不満があったときに、すぐに自分を説明したがる人がいました。自分を主張して、「それが私だから!」など、強く反発するような感じで言います。
人間は行動で示さなくても言葉で説明ができます。「自分はこういう人間だ」と言うことができる。ですが、自分を説明することは、自分のセルフイメージを説明しているにすぎません。「私は自分のことをこう思っています」と言ってるということです。
心理学で有名な「ジョハリの窓」の理論で言えば、「自分が知っている自分」の部分を説明していることになります。(そこには思い込みの要素も多分にあります)ですが、「他人しか知らない自分(自分で気がついていない自分)」もあるわけであって、自分の理解が自分の全てではないわけです。
自分の自己評価というのは、甘くなりがちです。人には、自分の自尊心を守ろうとする心理作用があり、簡単に言えば自分が可愛いから評価も甘くなるということです。(自己否定に走りやすいタイプの人も世の中にはいますが、やはりそういう人は精神的には不安定です。そう考えると自己評価の甘さはある程度、許容できることであるとも言えます)
問題なのは、口で説明することが多いタイプの人というのは、言う内容と実際の印象にギャップがあることです。つまり、周囲の人が持っている印象と本人が持っているセルフイメージの差が大きいのです。無論、それは過大な自己評価をしているという印象です。(上記で言った通り、精神を安定させるのに必要な自己愛は許容範囲と言えますが、それを超えて過剰に評価している印象があります)
もし、言葉がなかったら、自分を他人に理解させるためには行動で示す以外にありません。おかしな例えですが、自分が飼い犬で、主人(飼い主)に誤解されている印象を何とか変えたいと思っているとしましょう。その場合、主人が思いこんでいる印象を変えるには、誤解(と自分は思っていること)を生んでいる行動を修正していく、つまり行動を変えていくしか方法がありません。
しかし、人間は犬とは違い、口で説明できてしまう。現実が伴っていなくても口で説明すれば本人はそれで事が済んでしまうのです。しかも、言うだけで済めば現実を変える行動を省ける。ですから上記で述べた通り、言っていることと実際の印象のギャップが出やすくなるわけです。
ここから分かることは、口ですぐに自分を説明する人というのは、実際はどうであれ、飽くまで心地いい自分のイメージのみを欲しているということです。ですから安易に口に出して説明するのです。(もちろん、本人は大真面目に自分のセルフイメージが客観的な事実であり、同じイメージを持っていない人は誤解をしていると思い込んでいます)
他人に自分を理解されたいという欲求を持つと、どう見られているかという他人の評価に影響されるようになります。他人の態度や言葉の如何によってアイデンティティの安定・不安定が左右され、言い換えれば脆い状態になるということです。やはり、過去を振り返っても自分を説明する、主張する人というのはどこか精神的に弱い印象があります。
それに対し、理想とする自分のイメージに近づくことに価値を置いている人は違います。「他人から見た自分」の理想が一つの基準となり、それに近づくためには自分を変えなければいけない。そのためには行動して実践しないと意味がないわけです。ですから、他人に説明する必要がない。こういう人は精神的にも安定しています。
周囲の人たちが持つあなたの印象は、あなたに特に好意や反感を持っている人を除けば、その印象は、結構、的を射ていると思った方が良いです。他人から見た自分は、「他人の知らない自分」もあるわけですが、自己評価のように採点を甘くしない分、その評価はシビアであり、当っている部分も大きいわけです。(ですが、世の中には自分の評価は甘い割に、他人の事は不当に厳しい目で見る人も多いもので、そのような人の言うことは気に留めないことです。そういう人は影で嫌われているので分かりやすいものです)
しかし、他人に持たれた印象が不満でも、それは自分をより改善する一つの客観的意見として受け止めましょう。そして、それは不満であるけれども的を射ている部分もあると正直に思えれば真摯に受け止め、行動で印象を変えられるようにしていくことです。必要以上に安易に口で説明してはいけません。犬は言葉を使えませんが、大抵は飼い主と高い信頼関係を築いています。それを見習うべきです。