他人を指導するのに免許はいらないが事故は起きている

私はこれまで複数の会社へ行き、様々な職場を経験してきました。印象に残っていることはたくさんありますが、その中で共通して印象に残ったことの一つに、上司が部下に、先輩が後輩に指導をする際の対応のマズさです。仕事上の指示や注意をする際に、簡単に相手のプライドや自尊心を傷つけてしまう人が多くいました。

他人を指導することや教えることに関しては、私たちは素人だと自覚しなければなりません。多くの人が指導の仕方や教え方など自己流で、それでいて正しいと確信しています。(確信までしていなくても、少なくとも疑っていません)

人はこの世に生まれてすぐに両親という「他人」との関係が始まり、そこから幼稚園や学校などへ行くようになり、多くの他人と関わっていくことになります。その過程の中で、他人とうまく関係を維持する基本的なルールを学習していきます。そして、学校であれば下級生や部活の後輩などができ、上の立場の人間となって関わることも多くなる。そういった経験を経て、立場が下の人間に対する自分なりの関わり方が確立されていきます。

ですが、やはりそれだけでは自己流の域を出ません。私たちは、親になって子供を躾けるにも、先輩となって後輩を指導するにも、上司として部下に指示や注意をするにも、それに対して特別な訓練や教育を受けていません。ですから、かなり間違えていることが多いと思うべきなのです。

例えば「車を運転する」という行為でこの事を考えてみましょう。

車はお金を出せば買えますが、それだけでは公道は走れません。まず、車を公道で走らせるには交通ルールを知っていなければならない。そして、車を操作する(運転する)ための知識と、それを間違いなく実践する技術も必要なレベルに到達しないと公道は走れません。

もし、交通ルールを知らなかったり、運転の技術が未熟なまま公道を走ったらどうなるでしょうか。ほどなくして事故を起こすことは確実です。しかも、自動車やバイクの事故の場合は、即座に人命に関わるような重大事故になる可能性が高い。なので、教習所へ通って座学で交通ルールを学び、運転の仕方を習い、実技練習を繰り返し、筆記と実技の試験に合格して免許を取得しなければ公道を走ってはいけない規則になっているわけです。

「交通ルール」を「理想的な指導・指示・注意の仕方のルール」、そして「運転の技術」を「そのルールを実践するために必要な自分自身をコントロールする技術」と置き換えてみましょう。

世の中の多くの人が自己流を正しいと疑わずに指導・指示・注意などを行っていることで、この目に見えない「事故」は、家庭や職場や学校といったあらゆるところで頻繁に発生しています。それは、言わば多くの人が無免許で車を公道で走らせて、あちこちで交通事故を発生させているような悲惨な光景です。

車を運転するケースとは違って人命に関わるような大それた事態にならないので、親・上司・先輩が、息子(娘)・部下・後輩を指導するのには免許は必要ありません。(※)そして当然、厳格な規則も罰則もありません。

ですが、「事故」の及ぼす悪影響は確実に発生しています。それは、信頼関係の崩壊、やる気・意欲の減退、そして不信感の蔓延した空気が生まれ、結果的に様々な面で悪影響を及ぼします。仕事であれば生産性が低下し、ミスも増える原因にもなりえます。

人間関係における「事故」は、多くの場合、弱者の立場の人間が一方的に不満を抑圧させることで収束させてしまいます。そしてこの「事故」は、被害者の精神へ多大なダメージを与えるケースも多くあります。事実、世の中にこれだけ精神を病んでいる人が多い理由の一つは、現実にその「事故」が世の中に多く存在するという証拠であるとも言えます。

では、他人との関わり方や理想的な指導の仕方などを学ぶにはどうすれば良いですしょうか。そういった内容のセミナーへ行ったり通信講座があれば受講するのも良いですが、そこまでせずとも、そういったテーマを扱った本を読み、学習すれば良いのです。デール・カーネギーの「人を動かす」のような優れた著書もあります。そういった書籍で学習し、自分のやり方を省みて考え、徐々に実践していってみるのが理想です。(世の中には悪書も多いので、選別には用心する必要もあります)

他人と理想的な関係を確立するには、一方だけが優れていてもダメというのもあります。指導する側が理想的な態度で臨んでも、指導される側が劣っていては理想的な関係は実現しないものです。(指導する側とされる側の双方が共に理想的な態度ではないというのは、残念ながらよく見るケースです)

また、期待をかけて接してもダメな者はダメという現実もあります。厳しい態度で接し、ダメな場合は罰を与えるような状況ではないとミスを頻発させ、積極的に動こうとしない者も現実にはいるものです。ですから、関わる相手によってやり方は一様ではない難しさもあるでしょう。

ですがまず、相手のことより前に、自分が理想的な対応ができるようになっていくことが先決です。私たちは人を指導したり教えたりするのに、その教える内容の知識に関しては充分なレベルにあっても、人を指導することに関しては素人であると謙虚になるところから出発することです。

(※)学校の先生など一部の職業は、免許(教員免許)が要ります。ですが、これは主に教える知識に対するものです。指導の仕方に関しては疑問がある教員が世の中には少なからずいます。

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