昼食によく利用していた店がありました。そのお店には、ランチメニューがあるのですが、ご飯の大盛りは無料となっており、ランチを注文すると店員は「ランチはご飯大盛り無料ですが、いかがなさいますか?」と聞いてきました。それに対して「では、お願いします」「いえ、普通盛りで結構です」などと返答していました。
これは義務付けられたことであると思っていたのですが、しばらくすると聞く店員と聞かない店員がいることが分かりました。どうやら聞く店員は自分の判断で行っているようでした。要は「気が利く店員」であったわけです。
更に、積極的にテキパキと動いて、お客への対応もにこやかで愛想が良い店員と、料理を持ってきても無表情でそそくさとした印象で、人によっては面倒くさそうに働いているような店員がいることにも気がつきました。(「お待たせいたしました」「ご注文の品は以上でお揃いでしょうか」など、決められたことしか言わず、感情もこもっていないので、まるで自動販売機に「ありがとうございました」と言われたような感覚です)よく観察すると、人によって仕事への取り組み方へ結構な差があると感じました。
近頃、若い世代の人は「コスパが良い」などという言葉を好んで使います。(「コスパ」は、コストパフォーマンスの略)給料が時間給であれば、余計な気力・体力をかけずセーブした方が労力というコストをかけない分だけ合理的、つまり「コスパが良い」と思えます。
しかし、一生懸命やってもダラダラやっても貰う金額は一緒なのだから、最低限のやらなければならないことだけをやっていればいいなどと思ってはいけません。やらなければならないという受動的な状況下でも、自ら能動的・積極的な姿勢で臨み、愛想よく対応するなどプラスアルファのことを付加して事に臨むことは多くの良い面があります。
まず、他人からの印象や評価が良くなります。積極的に取り組む姿勢によって先輩や上司などからの信用も得られます。信用が低ければ、他人の自分に対する態度もネガティブなものになり、それによって人間関係のストレスも高くなります。つまり、積極的な姿勢で臨むことは、人間関係を良好にすることにも役立つわけです。
心身の疲労感や充実感にも大きな差が出ます。積極的に動く方が例え運動量が多くなっても疲労感は少なく感じます。ストレスでいっても、強制・命令・義務感で受動的に動くのと、自分の判断で積極的に動く場合とではストレスの度合いがまるで違ってきます。この差が働いている時間全体の充実度にも影響します。強いては毎日の充実度にも差が出ます。
そして何より、物事に積極的・能動的に取り組むというかけがえのない人格を育むことができます。それを持っている人と持っていない人とでは、人生に雲泥の差が出るほどの違いを生むのです。
積極的で愛想の良い店員は、店のために自分を犠牲にしているのではありません。そのプラスアルファの労力をかけた分の恩恵は、間違いなく自分が受け取っています。それをやることによって一番、得をするのは店ではなく自分なのです。
逆に、労力をケチった分の損は、自分に降りかかってきます。ですから、消極的で愛想のない姿勢の店員を見ると愚かだと感じます。そのような態度で一番損をするのは自分であるからです。
店内に入った途端、全ての店員が大きい声で明るく挨拶をするコンビニが稀にあります。レジでの対応も明るく、ハキハキとしてる。ですが、全員がやっていると、そこの店長がお客への印象を良くして売り上げに繋げるためにやらせているのだとすぐに分かります。
それに比べて、初めに例として挙げた店員は、その人が自ら率先してやっているのがわかります。やらされてやっているのではなく、自ら進んで本心からやっている対応はやはり気持ちの良いものです。そのような店員は世間ではやはり少数です。ですから、そのような人に出会うととても感心します。そして同時に、「自分も物事に取り組むときにそうできているだろうか」「自分も常にそうでなければ」と戒めにも似た気持ちにもなります。