人生は短いと思って日々を生きる

このサイトを開設するときタイトルをどうしようか迷い、あれこれと考えましたが結局しっくり来るものがなく、名前を前面に出す仮のタイトル(渡辺和津雄WEB)にしていました。最近になって、「Life is short」というタイトルが良いと思い、正式なタイトルに採用しました。

最初に思いついたときには、どこか切迫感があり、焦燥感を煽るような感じにも思えたので採用しなかったのですが、やはりこれがコンセプト的にも合っていて良いのではないかと思いました。(本当は「Life is too short」にしようかと考えていました。単に「短い」ではなく「余りに短い」とした方が、よりメッセージ性が強くなって良いと。ですが、やはり何にしてもタイトルというのは、分かりやすくシンプルな方が良いという判断で「Life is short」としました)

そこで、「人生は短い」と思って日々を過ごすことの効用は何であるかを考えてみます。人生は短いということを意識することは、生きていられる時間が有限であるということに改めて気づかされます。人生にいつか必ず終わりが来ることは誰でも知っています。しかし、多くの人はまるで永遠に生きられるかのような時間の使い方をして生活をしてしまっています。

人生の時間を銀行口座の残金に変えて考えてみましょう。口座にそれほど多くの残金があるわけでもないのに残高を意識せず、さほど欲しくなかったものを気軽に買いまくったらどうでしょうか。気がついたら口座にはほぼ残金が無くなっていたという状況に陥ってしまうでしょう。口座の残金があまり多くないことを把握していれば、本当に必要なもの、本当に欲しかったものだけを考えて買おうとするはずです。

それは、時間にしても同じです。必要性の低いことに多くの支出をすれば、本当に必要なもの(自分はどうなりたいか?という人生の目標)を手に入れるための時間という残金は残っていない状況になります。上記でも述べた通り、時間に関してはお金持ちのような使い方をしてしまっている人が多いのです。このように、「人生は短い」と思うことによって、自分は何をすべきか?何を優先すべきか?を意識し、考える機会にもなりますし、大事なことになるべく支出しようという意識を持てるようにもなります。

そして、思ったより時間は無いという事の重大さに気がつけば、些細な悩みなども気にならなくなります。「そんなことで時間を使うほど人生の時間に余裕はない」と。「大事を小事の犠牲にしてはならない」という精神が身についていきます。

このように、充実した人生にしようと思った場合、人生は長いと思うより短いと思う方が得策であるわけです。

では実際には人生は長いのでしょうか、それとも短いのでしょうか?人は、新しい体験や経験を多くすれば、その期間を長く感じ、普段と同じことを繰り返している日々は短く感じます。苦痛であったり退屈であれば時間の経過は長く感じ、楽しければその時間はあっという間に感じます。

日常の中の雑談で、「もう今年も終わりだ」「一年があっという間だ」「歳をとると一年が早い」「気がつけばもうこの歳だ」「長いと思っていたけど終わってみればあっという間だった」という感想を漏らす人が多くいることからも、やはり一般的には、「人生は短い」の方が「人生は長い」より納得できる人の方が多いのではないでしょうか。「光陰矢の如し」は真意を突いていると思います。しかし、長さの感じ方に価値を置くのはやめにしましょう。生きている時間の中で何をしたのかが重要です。単純に生きた長さだけで人生の価値は計れません。どれだけ価値のある時間を多く過ごせたかが大事なのです。

「人生は短い」と言ったら、「楽しんだもの勝ち」と思う人も多くいると思います。それは、その人が何に人生の価値を置いているかによります。楽しむこともとても大事ですが、人として価値の高い人生を送ることに価値を見出せる人たちに対して、私は「人生は短く、歳月は人を待たないということを心に留めて、日々充実するように生きよう」と進言したいと思います。その想いがこのサイトのタイトルに込められています。

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