自己啓発書というものが世の中には多く出ています。内容には様々なものがあるにしろ、その目的は正しい考え方を学び、それに基づいて自ら行動を正し、習慣を変え、人格形成をしていくことにあります。そもそも「自己啓発」というものの要諦は、自律精神を養うことです。自己啓発書とは、つまりそういう目的で書かれている前提となっているわけです。
しかし、この自己啓発書好きな人の中に「概念先行型」に陥ってしまう人たちがいます。この名称は、私が勝手にそう名づけているだけですが、要は役立つ知識は得ても実践はせず、概念そのものが目的となってしまっている人のことです。
そのような人たちを俗に「書斎派」とも言います。大辞林で調べると、「理論をもてあそぶが実際の行動はしない人々」と載っています。新しい知識を増やし、その世界に浸る愉しさは私も理解できます。実践するかしないかは本人の自由であり、理論をもてあそんで楽しむという使い方があってもいいという意見があってもその通りです。
ですが、目新しい方法論などを知ると、知っただけで習得したような気になって、自分が優れた人間になっていっていると勘違いしてしまう人も多くいます。
昔、新入社員の自己紹介の場面で、その中の女性の一人が「自己啓発書が好きで、心理学も勉強している。それを趣味にしている」「人間観察をしていると非常に面白い」と自信たっぷりに発言をした場面をよく覚えているのですが、自分が一般大衆よりも優秀で、一段上から周りの人を見下ろしているようなつもりでいる印象でした。そういう考えは、表情や態度、発言傾向などから多少なりとも分かるものです。もし、人間の内面に関する理論や法則を知り、それで周りの人たちより優れていると錯覚していったら、傲慢な人間になっていってしまう危険性があります。スノッビストというのは、通ぶる人、教養がある人のように振舞う人のことを言います。そのようになってしまっては自律精神を養い、人間性を正すという自己啓発書の本来の目的と逆行してしまいます。
書物を乱読することで知識だけを増やしていき、自分を変えるどころかその知識を都合よく利用して、今のままで自分を変えなくても他人からの反論をかわせるように「理論武装」してしまう。その知識を語ることによって、いかにもそれを習得している人間のような態度を見せ、立場の優位性を作る。そのような「概念先行型」タイプの人は、法則などの名前や概要、著名な人物などが言った格言などはよく知っています。突然、専門用語を出してきて「それは心理学では○○効果といって・・・」と、それに関しては専門的な知識があるような立場を取る。会話の中で役立つ知識を教えることは良いことでもありますが、それを言いいたいのは単なる見栄であり、態度に謙虚さがないといった印象を受けます。
目から鱗が落ちるような物事の真意を突いた格言、過去の偉人が発した教訓の言葉、啓発のための理論や概念、心理学の法則など、それらは「その分野に関して豊富な知識がある人」という印象を他人に与え、そして自分が平均的大衆よりも優れた人間であると思い込んで悦に浸るためのものではありません。そういったことを繰り返しては虚飾だらけの薄っぺらい人間になっていくだけです。
意味や価値というのは抽象概念なので、それを表すのは言葉になります。そうすると、いつの間にか概念だけが一人歩きして単なる言葉のあそびのような状態に陥ります。それでは「概念のための概念」になってしまいます。概念は飽くまで手段であり、行動を変えることが目的です。手段が目的化してしまってはいけません。
本来、知識や経験が増え、正しい方向へ行けば人間は謙虚になっていくものです。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という格言は真実です。書物を読んだりネットなどで知った知識を増やしていくことで自分の中で自信が増大していき、傲慢になっているのではないかと思える人も世の中には多くいます。そういう印象の人を見たら反面教師とし、私たちは必要以上に多くを語らず、謙虚に。そして実践・行動が先行するように心がけていきましょう。